先週、65歳になりました。
至って元気です(深酒をしなければ)。
3月8日、鎌倉で去年に続き二回目の新井英一さんのライブが開かれます。
http://www.higurashi-bunko.com/2_event.html
当日配付されるリーフレットに駄文を書きました。
「歌は絶え絶えに…」
中原蒼二
新井英一さんの歌を初めて聴いたのは、どこでいつだったかを思い出そうとしているのだが、宿酔いの頭ではなかなかそこには行き着かない。
京都の飲み屋だった気がする。新井さんのライブを告知するチラシが壁に貼ってあって、おれは、飲み屋の人に、この人はどういう人、と訊ねたのだった。
在日の人でね、といいながら店の人は『アルカンタラの月』をかけてくれた。ディスコグラフィーをみると、このCDは1997年6月に発売されているので、おれが、新井さんを初めて聴いたのは1997年以降のことだ。
その時の印象は、「胴間声」(調子はずれの濁った太い声)だが、歌の上手さなどではない、何かを伝える別の回路を持ったミュージシャンだな、というものだった。もう一つ、このミュージシャンは「歌に抵抗している」人だな、という直感があった。言い換えれば、「上手に歌うことは、歌から離れることだ」ということを知っている人だ、ということだった。
そもそも、おれは、なにも起きない日常を水で割るように、それを抒情的な旋律にのせて、さらっと歌うミュージシャンがキライだった。
乱暴に一括りにしていってしまえば、高田渡や早川義夫や友部正人などだ。「だからなんなんだ」といつも思っていた。今では「ひどい偏見」だということはわかってはいるが、新聞の俳句欄に載る俳句や、ベ平連がキライな様にキライだった時期があったのだ。
話は飛ぶ。
1987年9月、品川の寺田倉庫で行われた「いま、吉本隆明25時」というイベントに中上健次さんに声をかけられて、スタッフとしていささか関わった。吉本さんが『海燕』に「マス・イメージ論」を書いていた頃だ。
イベントの途中、事前に知らされていなかったゲストが登場した。芸能界から引いていた都はるみだった。
都はるみは、『アンコ椿は恋いの花』を「突如」という感じで歌いだした。マイクを使わなくとも、彼女の歌は500人以上入っていた会場の隅々まで届いてきた。歌というのは「音波」なのだと、素朴に納得した。
おれは「流行歌」などは、虫酸が走るほどキライだった。会場の一番奥で聴いていたおれは、その流行歌になにかを揺さぶられた。うつむいて聴いていたおれのどこかにあった感光板に、歌に関係なく、「(おのれでない)死者」と、「(おのれである)死者」とが感光した。タマシイに届いたのである。
思えば、京都の暗い飲み屋の片隅で、理由はわからないが、新井さんのCDを聴きながら、タマシイを揺さぶられたのは、その10年くらい後のことだった。(了)
新井さんのライブは素晴らしいです。
ぜひ、この機会にライブ会場に足を運んで下さい。お申し込みいただければ、前売り券をご用意いたします。
イラストは、エルド・吉水画伯に描いていただいたものです。
そういえば、画伯は銀座で個展開催中です。
http://www.qualiajunction.com/